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保険っていつからあるの?【損害保険 ②】

コラム

こんにちは!ファイナンシャルプランナーの武井です。

今回も!保険の歴史についてお話していこうと思います。

 

さて…前回は、「真正の海上保険証券」として現存する最古のもの、モンペリエのエロー県立古文書館に所蔵されている1425年12月3日の日付の海上保険証券までお話しました。

※見られてない方は、ぜひ、保険っていつからあるの?【損害保険 ①】をご覧ください。

 

まだまだ当時はリスクの計算などもあいまいな部分がありましたから、制度としての完成度は現代には遠く及びません。近代の保険を語るうえで最も重要と言われているのが、ロイズ保険市場の誕生です。

市場というくらいですから、ここでは保険の取引がされています。

「こんなリスクの保険なんだけど、引き受けてくれないか?」

雑に言うとこんなお話がやりとりされているわけで、現在もロイズ保険市場は存在していいます。

 

時は1688年。

エドワード・ロイズは、船舶が停泊する波止場の近くに開店。 一日中営業しており、船員、船舶の建造・修理をする業者など関係者が集う店になりました。海運業者が一日中出入りしますから、様々な情報交換がなされたのでしょう。お店は大繁盛しました。

そして1691年、信じられない程の大繁で手狭になったお店を移転します。その場所はロンバード・ストリートの中央郵便局の隣でした。つまり、オフィス街に近くなったのです。そこには次第に保険引き受け業者(アンダーライター)が集まるようになりました。

常連だった船乗りたちや海運関係者と、そこに加わった保険引き受け業者。ビジネスの匂いですね!

ロイズはそこで船舶の入港出港や、海難事故が起きた場所や天気などをまとめた「ロイズリスト」を作成します。コーヒーを飲む毎に支払をするのではなく、小銭1ペニー程度を支払って店に入って、コーヒーを飲み、他の客と情報交換をし、パンフレット・情報誌を読んだ。コーヒーハウスは情報交換の場で有益な情報が入手できる場所であり、Penny Universityと呼ばれました。

 

ロイズがなぜここまで重宝されるようになったのかは、もちろん「ロイズリスト」の功績もあるわけですが、これだけの情報に価値がついたのには訳があります。

「大型輸送化」です。1688年、日本では江戸時代ですが、すでにヨーロッパでは巨大船団による大航海によって様々な島や異大陸に上陸しています。もちろん、貿易も。そうなると一つの保険会社だけではリスクが引き受けられない巨大なものになっていきました。

これは現代の保険も行われていることなのですが…実は保険料を払って保険会社にリスクを移転、というのは保険会社もやっています。

 

契約者 →お金→ 保険会社 →お金→ 再保険会社

 

こんな風に、保険会社のリスクを引き受ける「再保険会社」という会社がこの世には存在しているのです。現在のロイズはこの最後の砦のような存在です。

そうやって世界の冒険や商売のリスクを引き受け続けてきたロイズ保険市場。

これからも世界のリスクを引き受ける素敵な組織として残り続けてほしいですね。

 

ちなみにロイズ保険市場には、「LutineBell(ルーティンベル)」という巨大な鐘があります。

悪いニュースがあると(大口の事故の発生など)、鐘が1つ鳴り。

良いニュース(イギリスの王室の 慶事とか)では鐘が2つ鳴らされるようです。

実際に、タイタニック号の沈没時には鐘が1つ鳴らされました。
鐘が鳴るのは本当に稀のことで、その時は建物内に鳴り響く鐘の音が1つなのか2つなのか、皆さんシーンとして聞いているそうです。

 

さて、今回はロイズ保険市場の成り立ちと「再保険会社」という存在についてでした。

次回は…今回までは海の上が多かったですよね?それでは陸上の保険は…?

次回は「保険、陸にあがる!」です。

 

というところでそれでは、また次回!